西尾維新『クビツリハイスクール -戯言遣いの弟子-』

西尾維新_クビツリハイスクール
西尾維新『クビツリハイスクール -戯言遣いの弟子-』 (講談社文庫)

西尾維新の戯言シリーズ第3作、『クビツリハイスクール -戯言遣いの弟子-』を読みました。
第1弾『クビキリサイクル』の感想は → コチラ。
第2弾『クビシメロマンチスト』の感想は → コチラ。

知らない誰かと仲良くするためには絶対に守らなければならない約束がひとつだけ存在する。その約束とは、相手に対して常に友愛の情を持つことだ。つまるところそれがどういうことかといえば、知らない誰かと仲良くすることなんて結局は不可能だという意味なのだろう。いや、そもそも、知らない誰かと仲良くしようだなんて考え自体が常軌を逸しているとしか思えない。絵空事を語ることさえ自らに許さず、たったひとつの矛盾さえも生理的に見逃すことのできない誠実な正直者、つまりこのぼくは、6月、人類最強の請負人・哀川潤に、およそ問答無用に引き連れられて、高名なお嬢様学校であるところの私立澄百合学園へと向かうことになった。そして事件はその学園の中で起きる。それは巻き込まれたと言えるかもしれないし、また、自ら渦の中へと飛び込んだと言えるかもしれない。まあ別に、どう言い、どう言いつくろったところで、それはきっと意味がないのだろう。だって起きた事件自体が、そもそも戯言みたいなものだったのだから――戯言シリーズ第3弾


めんどくさい宣伝文句だなあ(笑)
正に戯言。
(コピペ)


以下、人によっては「ネタバレ」と感じる部分があると思いますので、ご注意ください。
 ↓



ヒロイン役(だと思ってる)玖渚友ちゃん、登場しません。前作までの主要登場人物で出てくるのは、主人公の「ぼく」と人類最強の請負人こと哀川潤の2人のみ。「ぼく」の独白=戯言のなかにはあの人とかあの人とか、色々と登場するけど。

作を重ねるにつれて推理小説よりも人外バトル的要素が強くなってくるとは、Wikipediった結果の知識ですが、本書がその転換点になっているのかしら? バトル要素が前面に出ていますね。いちおう密室殺人の謎みたいなものはありますけど、その扱いはオマケのようなものですし。

だけど管理人にとっての本書の読みどころは、密室の謎でもバトルシーンのカッチョよさでもなく、やはり、人と人の関わり方、個と世界の関わり方について、登場人物たちの会話を通じて描いているところなんですね。

前作の感想で、主人公のことがめちゃくちゃ嫌いだって書きました。本書を読んで、作者も少なからずそういうところを意識して、「ぼく」を創造しているんだな、というのが分かりました。というか、そういう風に感じました。
というのも、哀川潤の台詞をもって主人公のことを「お前はな―なんていうか、他人を落ち着かない気分にさせるんだよ。不安にさせるんだ。だから周囲の人間は普段と違う状態を強いられ―結果、隙ができる」「おまえ自身は無個性で誰とも似ていないけれど―欠けている部分があまりにも多過ぎる。だから誰にも似ている。それが他人の無意識を刺激する、ゆえに無為式」「そこにいられると落ち着かないのに―周囲の誰も、お前に触れることができないんだ」等々と、説明させているんですね。はじめっから気持ち悪さを感じさせるキャラとして生まれている。それが主人公ですからね。斬新だ(笑)
この引用した部分だけではないですけど、本書終盤の一連の哀川潤と「ぼく」との会話には、深く頷かされるものがありました。そうか、コイツに気持ち悪さを感じてもいいんだ。嫌いになってもいいんだ。…みたいな(笑)
ちょっとずつ主人公「ぼく」の過去に触れたくだりが出てくるのも興味深い。

それから本書、哀川潤のカッチョ良さが光る一編でもありますね。その強烈な個性のおかげでスイスイ読み進められるってのもある。


今回は比較的短くまとまった作品だったけど、さて、次の第4作は上下巻の大作ですわよ。


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