打海文三『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』

打海文三_ドリーミングオブホームマザー
打海文三『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』 (光文社文庫)

打海文三の『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』を読みました。単行本でも読んだので2回目です。打海文三は2007年10月9日、心筋梗塞で亡くなってしまいましたが、本作はその死後に発売された、いわゆる“遺作”みたいなものになります。打海氏のブログ「パンプキン・ガールズは二度死ぬ」にWeb連載されていたものをまとめたのが本書ですので、純粋な意味では「遺作」ではありませんが。※遺作としては【応化戦争記シリーズ】の最終作『覇者と覇者』が未完成のまま発表されました。

以前、デニス・レヘイン『ムーンライト・マイル』の感想を書いた記事で、「日本人作家は一つの作品に複数の感情を盛り込むのがやや苦手(大意)」ではないかと書きましたが、打海文三はその稀有な例外でした。「~でした」と過去形で書かねばならない事が本当に残念ですが、氏の作品の中の登場人物には生き生きとした多様な感情の発露があります。
一部の読書好き以外にはあまり馴染のない作家かもしれませんが、私は打海文三の作品がとても好きでして、もし「これから死ぬまでに一人の作家しか読んじゃダメ」とか言われたら(笑)、打海文三を選ぶかなぁ、というくらい好きです。登場人物も、濃密な文章も、苛烈で容赦ない現実を突きつけるような作風も、会話の妙も全部好きですねー。何度も何度も繰り返し読みたい。

さて本書のストーリーですが、文庫本の裏表紙をこのままパクっちゃいましょう。
編集者の田中聡とライター・さとうゆうは幼なじみ。聡がファンだった小説家・小川満里花との仕事をきっかけに交流が復活する。三人と満里花の飼い犬・イエケとの穏やかな日々。しかし、突如イエケがゆうに襲いかかる。一年後、東京でSARSが流行。陰には一頭の犬の存在が。恋、官能、背徳、壮大なミステリー  打海文三が遺した「最後の傑作」がついに文庫化。

以下、人によっては「ネタバレ」と感じる部分があると思いますので、ご注意ください。
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聡とゆうの少年時代のエピソードや満里花を交えた緩~い三角関係で感じられる前半の心地よさ・牧歌的な感触は、中盤の事件で亀裂が生じ、東京SARSが爆発的に流行する後半にはピリピリとした緊張感とどうしようもないほどの息苦しさへと変わります。そしてラストでは不安と幻想の中に突き落とされる…。

巻末に秀逸な解説を寄せている池上冬樹氏が、打海文三の作風として挙げている言葉に「世界の解読」というのがあります。いかにして世界を認識するのか?本書のラストこそそんなテーマに思いっきり関係してます。

打海ファン以外には圧倒的に「否」として迎えられそうなラストについて、まず読者は語り部である聡の目線・視点を信じていいのか、というのがまず問題です。ゆうは次のように言っています。
「小説であれ哲学書であれ、文章はかならず誤読される。人は自分に都合いいように誤読するもの。他人が書いた文章も自分自身の人生さえもね。ところが聡は奇跡的に誤読をしない人間だと思う」

これをそのまま適用すると、聡の目線・視点は信頼できる、と。そして、「ゆうが少女時代に既に亡くなっている世界」と「ゆうがイエケに噛み殺される世界」というパラレルワールドの間を揺れ動くような、夢か幻想か現実か不確かな世界こそが「世界」であると聡は「読」んだ、ということになるのではないでしょうか。先に登場人物の多面性という話をしましたが、この世界も多面体であろう、と。ただ一つ真実のみ存在することを肯定するのではなく、多様であること、不確かであること、そして混沌であることについてそのまま受け入れているように思えます。まぁそれこそ私の「誤読」かもしれませんが。
思えば作者は今までの作品でも「混沌とした世界」を描いてきたように思います。ミステリ、またはハードボイルドの作家と捉えられることが多いと思いますが、ハードボイルド的ではあれ(私見では最高のハードボイルド作家だと思ってます)あまりミステリ作家ぽくはないな、と感じます。少なくとも「謎を解決!」という意味ではまるでミステリ作家ではありませんね。

ラストについて長々と触れましたが、結末を無視しても本書はそれまでの道程が十二分迫力があって面白い。作中に満里花が次回作の構想について聡とゆうに語るシーンがあります。「女性が、牝馬に乗って、夜の山道を男性に会いに行く、その行程だけを切りとった小説」がそれ。女性は昔のボーイフレンドが峠の向こう側で一人暮らししていることを知る。いますぐ会いにいきたくなった彼女は牝馬に乗って出かける。
満里花「男性に会うことそれ自体よりも、会いにいくプロセスの方が愉しめる、ということを彼女はよく知っている。だから車ではなく牝馬を選択する」
ゆう「快楽はプロセスに宿る」
「小説を読む快楽も」

小説を読む快楽はプロセスに宿る!

私が本書の中でも特に好きなくだりですね。小説の結末なんてどうでもいい、というのは暴論ですが、結末の出来不出来もしくは整合性ばかり語られる小説、もしくはその読み方は面白くないと思います。

「ねえ聡、世界と自分自身の根拠について、徹底して考え抜こうとしている人間の書いた本を、たまには読んだ方がいいと思うけどね」
これは作中のゆうの言葉ですが、そのまんま作者・打海文三の事だよ!
最後に池上冬樹氏の解説から引用します。
「打海文三のような才能を、いったい僕らは誰に求めればいいのか。いったい誰が代わりに書けるというのか」
もちろん代わりなんていねぇっす。

いつも以上に整理されてない文章で、読んでない方を置いてけぼりにしていてサッパリ分からんのは相変わらずですな(苦笑)。

※『ゴールデンスランバー』以降の伊坂幸太郎は打海文三に似ているような似てないような、打海文三を目指してるような目指してないような…
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