西村健『地の底のヤマ』

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西村健『地の底のヤマ』 (講談社文庫、上・下)

西村健の『地の底のヤマ』を読みました。
すっげー分厚い。

昭和三十八年。福岡県の三池炭鉱で大規模な爆発事故が起きた夜に、一人の警察官が殺された。その息子・猿渡鉄男は、やがて父と同じく地元の警察官となり、事件の行方を追い始める。労働争議や炭塵爆発事故の下、懸命に生きる三池の人々と、「戦後の昭和」ならではの事件を描いた、社会派大河ミステリー。

三池炭鉱を舞台に描かれた熱き人間ドラマ。地元の警察官・猿渡鉄男は、「名刑事」だった父の死の謎を追い続けていた。時代は、昭和から平成へ。斜陽化する炭鉱の街、必死に生き抜く人々、時代を反映した数奇な事件。すべてが折り重なって解明された、父親殺しの真相とは? 第33回吉川英治文学新人賞受賞作。


吉川英治文学新人賞に、日本冒険小説協会大賞に、福岡県文化賞に、大牟田市市政功労賞の四冠ですって奥さん!


以下、人によっては「ネタバレ」と感じる部分があると思いますので、ご注意ください。
 ↓



ま、過大評価かな。

…とも思いますが。

今まで知らなかった分野の知識が得られることというのは、読書の大きな楽しみであり効能(?)の一つだと思いますが、私にとってこの作品を読んで最も良かったなと思うことが、正にそれですね。三池炭鉱を巡る歴史や人間模様、舞台である大牟田市/有明海について詳細かつ丁寧に描写された文章によって、それまでは漠然としたイメージや字面でしか把握していなかった事象が、よりはっきりと像を結んできました。
スチュアート・ウッズの『警察署長』や、同作をオマージュした佐々木譲の『警官の血』、もしくは船戸与一の『虹の谷の五月』のような大河小説的な構成も、石炭産業/大牟田市の移り変わりを時代の流れの中で捉えるには非常に有効でしたし。

ただ、長過ぎるのよね。全四部、その各「部」で、これでもかというくらい同じような背景描写や主人公の逡巡が続き、話に緩急のダイナミクスが乏しい点はマイナス。
あと、「主人公=猿渡鉄男の父親を殺したのは誰か?」という物語全体を貫く大きな謎の存在とは別個に、ぞれぞれの「部」で事件がありその解決が為されるんですが、後半に行くにつれて謎解きに興味を魅かれなくなってきます。クライマックスたるメインの謎の真相解明の部分はなかなか読ませますが。

あと、鉄男自身とその周りの友人達が気に食わない(笑)。元も子もない言い草ですが。鉄男の警察での上司や後輩、同僚には魅力的な人物が多いんですけどね。
なんでしょうね、ここで描かれる大牟田の人達にヘンな感覚のズレを感じるんですよね。その「ズレ」を代表するようなキャラが、ヒカッしゃんと呼ばれる暴れん坊の存在。端的に言やぁすぐに暴力に訴える犯罪者なんですが、彼が“悪さ”をしでかしても、町の誰もが「ヒカッしゃんならしょうがない」的な態度でもって“見逃し”ている様子がほんとに気色悪い。警察官である鉄男も含めて、ね。

こんなシーンがある。
居酒屋でヒカッしゃんの“悪さ”エピソードを酒の肴にして面白がるシーンです。鉄男視線での描写。
 酒を吹き出しそうになった。野沢も身体を二つ折りにして笑っていた。呆れたような、戸惑ったような曖昧な笑顔を浮かべていたのは、伊吹だけだった。こんな話題で笑っている妻を、異質なものを見るような眼で眺めていた。彼は未だ、この町の“文化”には馴染み切れていないものと見える。
※「野沢」(←旧姓)は鉄男の幼なじみで、「伊吹」の奥さん。伊吹は元々は大牟田の「外」からやって来た人。そんな設定。

正常な感覚であろう伊吹が、この町では逆に異質な存在になってしまう。この気持ち悪さ。この「感覚のズレ」の正体をどこに求めればいいのか分からないから、この小説を好意的に見ることが出来ないんだな、と自己分析したりするんですよね。
地域性なのか? はたまた、時代のせいなのか?
作者は幼少の頃からここ大牟田市で育ったとのことで、現実感覚・皮膚感覚に基づいた描写を求めた結果、こういう物語になったのかもしれません。ただ、あたしゃあもっとカッチョイイ小説が好きなのよね。虚構でいいから。


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